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高松高等裁判所 昭和60年(行コ)6号 判決

控訴人(被告) 地方公務員災害補償基金高知県支部長

被控訴人(原告) 永田金利

主文

一  原判決を取り消す。

二  被控訴人の請求を棄却する。

三  訴訟費用は、第一、二審とも被控訴人の負担とする。

事実

第一申立て

一  控訴人

主文同旨の判決

二  被控訴人

1  本件控訴を棄却する。

2  控訴費用は、控訴人の負担とする。

第二主張

当事者双方の主張は、次のとおり主張を補充するほかは原判決事実摘示と同一であるから、これを引用する。

一  原判決二丁裏一行目から二行目の「(勤務校から約一キロメートルの地点)」を削除する。

二  原判決三丁表一一行目と同一二行目との間に「4 被控訴人は本件処分を不服として、地方公務員災害補償基金高知県支部審査会に審査請求をしたが、同審査会は、昭和五八年一月三一日、審査請求を棄却する裁決をした。そこで、被控訴人は、地方公務員災害補償基金審査会に対して再審査請求をしたところ、同審査会は、昭和五八年一一月一六日、右再審査請求を棄却する裁決をし、被控訴人は、同年一二月七日、右の裁決書謄本を受領して、その結果を知つた。」と付加する。

三  原判決三丁表一二行目の「4」を削除する。

四  原判決三丁裏八行目と同九行目との間に「4 同4の事実は認める。」と付加する。

五  原判決五丁表一行目と同二行目との間に以下のとおり付加する。

3(一) 我が国の勤労者、公務員の業務上、公務上の災害補償制度としては、労働者災害補償保険法、国家公務員災害補償法、地方公務員災害補償法が制定され、ほぼ同一の基準でその補償がされることになつているが、右の各法とも、昭和四八年九月以前は、通勤途上の災害に関する補償制度を設けておらず、同月の右各法の一部改正によつて、同年一二月一日から通勤災害補償制度が同一基準をもつて実施されるようになつたものである。

この制度が認められることになつたのは、通勤は労働者が労働を提供するための不可欠な行為であり、単なる私的行為とは異なつたものであつて、通勤途上の災害は、社会全体の立場からみると、産業の発展、通勤の遠距離化等のために、ある程度不可避的に生ずる社会的な危険となつており、労働者の私的生活上の損失として放置されるべきでなく、社会的な保護制度を設けるべきであるとの見地からである。

(二) しかし、通勤災害は、業務災害、公務災害とは基本的に性格が異なるものであるから、通勤災害補償制度は、業務災害、公務災害とは別個のものとして位置付けられている。

すなわち、業務災害、公務災害は、業務又は公務に起因する災害であり、使用者の支配、管理下において行われる行為であつて、これらに対する使用者の無過失責任が問われるものである。これに対し、通勤は、住居の選定、往復の経路手段等が当該労働者、公務員の自由意思に係るものであり、使用者の支配、管理下に入る以前又はそれから脱した以後の行為であつて、使用者には、その間の災害を予防する手段も責任もなく、使用者に災害補償責任を負わせることはできないはずのものである。

したがつて、前記のいずれの法律による場合にも、〈1〉通勤災害と業務災害・公務災害とを別々に定義し、それぞれについて所定の給付を行うことを規定し、〈2〉業務災害・公務災害については、全額が使用者が負担する保険料をもつて充てているのに対し、通勤災害については使用者の負担する保険料に加えて、労働者に一部を負担させており、〈3〉通勤災害による給付は特別な給付とされ、また、通勤災害による休業の場合には、最初の三日間の待期期間中は使用者の災害補償義務はなく、労働基準法一九条の規定に基づく解雇の制限もないなど、通勤災害と業務災害・公務災害とは明らかに区別されている。

(三) そして、一般的な用語法からすれば、通勤とは通勤の態様、時間帯等にかかわらず、勤務場所と住居との間の往復の全行程が一応考えられるが、通勤災害補償制度は、右のような趣旨及びその経費の大半を使用者の負担によつて賄う公的な制度であることなどから、その対象とすべき通勤の範囲を、通勤が勤務の提供と密接不可分な関係にあるという右制度が前提としている事実に従つて絞らざるを得ない。

そうしたことから、法は、通勤災害補償制度の対象となる「通勤」(以下右の意味における通勤を「「通勤」」という。)について、定義規定を設けてその範囲を明確にしている(法二条二項、三項)。それによれば、〈1〉「通勤」とは勤務のためのものであること、〈2〉「通勤」とは住居と勤務場所との間を合理的経路及び方法によつて往復する行為をいうこと、〈3〉公務の性質を有する通勤は「通勤」の範囲には含めないこと、〈4〉合理的経路を逸脱し、又は、合理的経路及び方法による通勤を中断した場合には、原則として、右逸脱又は中断に入つた後の行為は「通勤」の範囲に含めないこと、〈5〉ただし、〈4〉の場合において、その逸脱又は中断の事由が日用品の購入その他これに準ずる日常生活上必要な行為をやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合のものであるときは、その逸脱又は中断の間を除き、その後合理的経路に復した後の往復行為については、これを「通勤」とすることが規定されている。

(四) ところで、右の「勤務のため」という場合の「勤務」とは、日常、明示又は黙示に指示されている通常の業務に従事すること、又は、臨時の業務として特に命ぜられた業務に従事することを指すと解すべきである。

また、右の「合理的経路」とは、住居と勤務場所との間の往復に用いられる経路のうち、通常用いられると認められる経路と解すべきである(「災害補償制度の運用に関する人事院事務総長通達第三の1の(1)」)。

職員は、通常であれば、時間的、経済的に最小ですむ経路を通ると考えられるから、通勤届に記載された経路、定期券に示された経路が合理的経路に該当する。もつとも、右のような本来の合理的経路のほかに、その日の勤務の都合で普段はバスを利用するところを徒歩やタクシーを利用する場合、あるいは、道路工事、交通ストライキなど特別な事情によつて臨時的に迂回した経路をとる場合など、特別な事情のもとに合理的経路とみられるものもあると解される。

(五) 本件において、吉岡宅における祥子のピアノのレツスンは同人の通常の業務でもなければ、臨時の業務として特に命ぜられた業務でもない。

しかるに、原判決は、「法所定の通勤災害補償制度は、通勤が公務の性質を有しない場合にも公務と同様に取り扱うものであること及び法二条二項の規定自体並びに同条三項の例外規定をあわせて考察すれば、職員が通常の場合と異なる経路及び方法により住居から勤務場所に向かつた場合であつても、それが、当日行われるべき具体的な職務のために必要なことであつたと認められる場合には、やはり右の合理的な経路及び方法にあたると解して差支えないというべきである。」(原判決六丁裏八行目以下)と判示し、これを前提として、本件経路が法二条二項の「合理的な経路及び方法」に当たると判断している。

このような考え方は、通勤災害補償制度の制定の経緯を無視し、法所定の通勤途上災害における「通勤」の概念を誤つてとらえているものである。

(六) なお、本件処分は、通勤災害の認定に関する処分であるから、控訴人としては、通勤災害に該当するか否かの点についての判断しかなし得ないものであつて、仮に祥子の行為が公務の性質を有することによつて公務災害となり得る余地があつたとしても、本件処分のような判断しかできないものであるから、本訴においては、本件災害が公務災害に該当するかどうかを考慮する余地はない。

六  原判決五丁裏一〇行目と同一一行目との間に以下のとおり付加する。

本法の昭和四八年改正では、それまで公務上災害のみを補償の対象としてきた点を改め、新たに通勤による災害も補償の対象としたものである。これは、通勤途上の災害のうち、従来、公務遂行性を認めて公務災害として保護してきたもの以外にも、実質的に保護すべき災害が存在したからである。そして、右の改正以後は、通勤途上の災害は、〈1〉公務災害として保護の対象となる災害、〈2〉通勤災害補償制度の対象となる災害、〈3〉いずれの制度の保護の対象ともならない災害の三つに区分されることになつた。

そこで、通勤途上の災害が発生した場合には、まず、その行為が右〈1〉の災害に当たるか否かを判断し、それに該当しない場合には、次に〈2〉の災害に当たるか、それとも〈3〉の災害に当たるかを判断すべきである。

ところで、実際上は、右〈1〉の災害に当たるとするためにはその行為に公務遂行性が認められることが必要と解されているから、労働者のみを対象とした専用の交通機関などを利用している途中における災害など例外的な場合を除いては、〈1〉の災害には該当しないと考えられる。そこで、〈2〉の該当性の判断は、法一条にいう「通勤による」とは通勤と災害との間に合理的関連性のあることと解した上で、右の合理的関連性の有無は、労働者保護の見地から法的救済を与えることに合理性があるか否かという実質判断によつて合目的的に総合判断されるべきである。具体的には、「通勤」と切断される特別の事情の認められない限り、通勤と災害との間には合理的関連性があるというべきである。

したがつて、通勤が公務の性質を有しないとして〈1〉に該当しないと判断される場合であつて、なお公務と同様に取り扱うことを相当とするものについては、〈2〉の通勤災害として取り扱うということが合理的であり、原判決が示した「合理的経路」の要件に関する判示は、このような意味で極めて妥当なものである。そして、いまだ公務上の災害とは認定し難い本件の場合においては、公務に準ずる通勤災害として通勤災害補償制度の対象となる災害と認めることは当然である。

第三証拠〈省略〉

理由

一  請求原因2の事実(被控訴人の通勤災害認定請求及び本件処分の存在)、同4の事実(審査請求及び再審査請求の経由)は、いずれも当事者間に争いがない。

二  そこで、まず、本件災害発生に至るまでの経緯について検討する。

1  請求原因1の事実は当事者間に争いがない。

2  成立に争いがない甲三号証、同七号証の二ないし四、同八号証の一、二、乙四号証の五、同六号証の一九、同九号証、同一二号証の三の二、同一二号証の七、原審証人山崎浩の証言により真正に成立したものと認められる乙四号証の八、同五号証、同一二号証の四及び原審証人吉岡勢津子、同永田茂子、同山崎浩の各証言並びに弁論の全趣旨によれば、

(一)  祥子は、音楽祭への参加が決まると、合唱曲として「よさこい」と「草原のわかれ」の二曲を選び、昭和五五年一〇月一六日ころから毎日約三〇分ないし六〇分、その練習を熱心に指導し、本件災害の発生した同年一一月八日(土曜日)の午後一時からは、勤務校においてその総仕上げとして男女合同練習を指導する予定であつたこと、

(二)  また、祥子は、同月九日に佐川町等の主催で行なわれる芸能祭の一般の部に個人として参加し、独唱及び二重唱を行うことになつており、その際、友人である吉岡がそのピアノ伴奏を担当する予定であつたこと、

(三)  祥子は、音楽祭の合唱曲のピアノ伴奏に自信がない箇所があつたので、普段から合唱団の伴奏者としてピアノ伴奏に習熟している吉岡にその指導を仰ぎ、同時に翌日に迫つた芸能祭の独唱曲の伴奏合わせをしようと考え、同月八日の午前中、有給休暇をとつたこと(祥子が有給休暇を取得したことは当事者間に争いがない。)、

(四)  そして、同日午前九時ころ、佐川町の自宅を出ると、原動機付自転車を運転して国道三三号線を東に向かい、午前一〇時ころ、高知市入明町の吉岡宅へ着いたが、吉岡が不在であつたので、近くの喫茶店で約三〇分ほど時を過ごし、同一〇時三〇分ころ、再び吉岡宅を訪れたこと、

(五)  その後、吉岡宅に約一時間ほど居たが、吉岡から音楽祭の合唱曲のピアノ伴奏についての指導を受けたのは最初の一〇分間程度であり、その後は、吉岡と翌日の芸能祭の独唱曲の伴奏合わせを行ない、午前一一時三〇分ころ、同人宅を辞去したこと、

(六)  祥子は、同人宅を出ると、午後一時から予定されていた男女合同練習の指導をするため、原動機付自転車を運転して勤務校へ向かい、国道三三号線を一二キロメートルほど西の佐川町の方向に進み、伊野町から仁淀川に沿う国道一九四号線に入つてこれを北西に進み、さらに伊野町出来地から鎌井田方向に向かう県道に折れて、午後零時三五分ころ越知町黒瀬上八川口橋西約一〇〇メートルのカーブ地点にさしかかつたところで本件災害にあつて死亡したこと(右の現場で本件災害にあつたことは、当事者間に争いがない。)

が認められ、右認定を覆すに足る証拠はない。

三1  ところで、法の定める通勤災害補償制度は、通勤途上の災害について補償を行うこととしているものであるが、その保護の対象となる災害の範囲は、一般的に通勤と称される行為の過程で生じたすべての災害に及ぶものではなく、法二条二項、三項の要件を満たす「通勤」によるものに限られている。

すなわち、通勤自体が公務の性質を有する災害は公務災害として保護されるから「通勤」には含まれないほか、住居と勤務場所との間の往復に当たらないもの、すなわち住居以外のところから勤務場所へ通うような場合は、これに含まれない。そこで、例えば勤務場所が複数存在するような場合においては、職員が住居から最初の勤務場所へ至る間の往復行為は「通勤」に当たるが、その後、勤務場所の間を移動する行為は、これには当たらないものと解される。

また、「通勤」というためには、それが勤務のための往復であることが必要であり、かつ、合理的な経路及び方法によるものでなければならない(法二条二項)。そこで、住居と勤務場所を往復する途中でそれ以外の行為を行い、往復行為を中断した場合には、右の中断の間は「通勤」に含まれないこととなるが、法は、それだけでなく、その後の往復行為についても、右の「通勤」として取り扱わない旨を定め(同条三項本文)、例外的に、中断が日用品の購入その他これに準ずる日常生活上必要なやむを得ない事由により行うための最小限度のものであるときだけは、その中断の間を除き、その後の往復行為も「通勤」として取り扱うとしている(同条三項ただし書。法は、合理的経路から逸脱した場合についても、同様の規定を置いている)。このような規定は、一般に、中断がある場合には、その往復行為が、勤務のためにするのか中断時の当該行為をするためなのかということとの区別がつけ難くなり、中断の前後を通してあくまで一個の行為とみて住居及び勤務場所をその始点終点ととらえるべき理由に乏しくなるということなどを考慮したものと考えられる。

したがつて、このような法二条二項、三項の定義規定からすれば、法にいう「通勤」には、右の日用品の購入その他これに準ずるやむを得ない場合を除き、その途中において、往復を中断する行為が介在することは予定されていないということになる(なお、通勤の途中でタバコや新聞を購入するなどの通常の通勤に随伴するささいな行為については、ごく短時間に限つてこうした行為が行なわれた場合には、右にいう中断と解するまでの必要がないこととなろう。)。

そうだとすると、特定の経路が合理的であるかどうかという判断について、通勤途中で往復を中断して行う行為の内容を斟酌して経路の合理性を判断するようなことは法の予定するところとはいえず、右判断に当たつては、住居と勤務場所との間に存在する各経路の距離・所要時間・所要経費・その他の道路事情等を総合的に考慮すべきであると解するのが相当である。

2  本件事案では、祥子が、任命権者である高知県教育委員会に対し、毎日の通勤の経路として、原動機付自転車を利用して佐川町の自宅から越知町越知を経由して同町鎌井田所在の勤務校に至る約一六キロメートルの経路(通勤届の経路)による旨を届け出ていることは、当事者間に争いがなく、前掲乙六号証の一九、成立に争いがない乙四号証の四及び原審証人永田茂子の証言並びに弁論の全趣旨によれば、祥子は、右の通勤届を提出した昭和五五年九月中旬ころからは、毎日、原動機付自転車を運転して右の通勤届の経路によつて通勤していたこと、その所要時間は片道約四五分であること、右通勤届の経路は、祥子の住居のある佐川町から勤務校のある越知町鎌井田に至る場合の経路としては最も普通に利用されている経路であることが認められる。

これに対し、本件災害時に祥子がとつた本件経路は、前記二の2の(四)ないし(六)に記載したとおりであり、これらの事実及び前掲乙五号証、同六号証の一九及び原審証人永田茂子の証言によれば、本件経路は、その全長は約七〇キロメートルあり、住居から事故地点まででも原動機付自転車によれば二時間以上を要すること、通勤届の経路とは、全く重なる箇所はないこと、祥子がこうした経路をとつた理由は、専ら高知市入明町の吉岡宅へ立ち寄ることにあり、通勤届の経路が通れないというような特別な事情が存したことによるものではないことが認められる。

合理的な経路は必ずしも一つに限る理由はないが、右の事実関係からすれば、通勤届の経路は、祥子の自宅と勤務校を結ぶ合理的な経路と認められるのに対し、本件災害時に祥子がとつた本件経路は、右の通勤届の経路と比べて、著しく距離が長く、かつ所要時間もはるかに長時間を要するものであつて、合理的な経路とは到底認め難い。

被控訴人は、祥子が吉岡宅へ立ち寄つた目的が、音楽会のピアノ伴奏の指導を受けることにあり、これは実質的には公務のためにする行為であつたから、本件経路もまた合理的な経路と認めるべきであると主張する。しかし、ピアノ伴奏の指導を受けることが公務である場合に、それ以後の勤務校へ向かう途中の災害が公務災害として補償の対象となることがあるのは格別、通勤途中で通勤を中断して行つた行為の内容が通勤災害の前提たる経路の合理性を判断する上で斟酌できないことは先に述べたとおりであつて、これに反する被控訴人の右主張は、法一条、二条二項、三項の各規定の趣旨から逸脱する独自の見解で到底採用できない。

したがつて、祥子が本件の経路で勤務校に向つていた行為は、合理的な経路によるものではないから法所定の「通勤」であると認めることはできず、その途上で発生した本件災害は通勤災害には該当しないこととなる。

3  また、「通勤」と認められるためには、前記のとおり、自宅から勤務場所への往復行為の途中において、日用品の購入その他日常生活上必要な行為をやむを得ない事由により行うための最小限度のもの以外の中断が存しないことが必要であるところ、祥子は、前記二の2の(四)及び(五)に記載のとおり、自宅を出てから本件災害の現場に至るまでの間において、午前一〇時ころから約三〇分間、喫茶店に立ち寄り、また、同一〇時三〇分ころから同一一時三〇分ころまでの間、吉岡宅で、音楽会のピアノ伴奏の指導を受け、次いで芸能祭の独唱曲の伴奏合わせを行つている。これらの行為は、その内容及び所要時間からして、日用品の購入に準ずる日常生活上必要なやむを得ない事由により行うための最小限度の行為とはいえないことは明らかである。また、これらは通勤に通常随伴するささいな行為とも見る余地もない。なお、これらの点については、音楽会のピアノ伴奏の指導を受けるための間を除外して考えてみても、同様のことがいえる。

したがつて、右のような中断後に勤務場所へ向かつた行為は、この点からしても法所定の「通勤」には当たると認めることはできないから、その途上で発生した本件災害は通勤災害には該当しないこととなる。

4  以上のとおり、本件災害は、いずれの点からしても、通勤災害には当たらないというべきである。

なお、公務災害と通勤災害は、使用者の支配下にある行為か否かという点で性格を異にし、そのため、服務の関係では、そのいずれに該当するかによつて取扱いが異なること、法は、公務災害と通勤災害を各別に定義し、それぞれについて所定の給付を行うとしていること(法一条ほか)、通勤災害については公務災害と異なり、職員にも一部の負担金を課していること(法六六条の二)などからすると、通勤災害の認定請求がされた場合には、処分庁は、仮に公務災害に該当すると判断しても、公務災害を認定する余地はなく、通勤災害として非該当の認定を行うほかはないと解される。したがつて、本訴においては、本件災害が公務災害に該当する余地があつたかどうかまでを検討することは要しない。

四  以上の次第であるから、本件災害が通勤災害に当たらないとした控訴人の本件処分にはなんらの違法もないから、被控訴人の本訴請求は理由がないから棄却すべきであるのに、右請求を理由あるものとして認容した原判決は失当であるので、これを取り消して被控訴人の請求を棄却することとし、訴訟費用の負担については、行政事件訴訟法七条、民事訴訟法九六条、八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 柳澤千昭 福家寛 市村陽典)

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